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石岡神社の歴史

History of Iwaoka Shrine

石岡神社の拝殿・本殿
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石岡神社について

石岡神社の起源は、神功皇后が三韓から凱旋した際に、武内宿禰と皇子を奉じてこの地に上陸し、天神地祇を奉斎したことに始まります。

清和天皇の貞観元年(西暦859年)に宇佐から勧請されて奉祀されたと伝えられています。

延久5年(西暦1073年)8月15日、後冷泉院の御遺勅によって国司源頼義が国中十八社準八幡宮を建立する際に、

その十八社に加列され再興されました。

以後、源氏の隆昌と共に当社も繁栄を加えたことは、義経宝剣の寄進状が現存することから明らかです。

その後、元亀・天正の頃(西暦1573~1586年)数度兵火に懼れ、殿宇宝蔵が悉く鳥有に帰し、

数多の神人も離散しましたが、長職(紀姓玉井氏)一人が神体を守護し奉りました。

更に後、玉井民部忠良がこれを憂えて田地に仮殿を営み御神体を鎮め奉りました。

文禄年間(西暦1592~1594年)に至って神殿を改修しましたが、

未だ全きを得ないまま藩政時代に入りました。

松平頼純卿が西條に封じられ、八幡宮が源氏の氏神であった為、

寛文10年(西暦1670年)に伊曾乃、一宮、黒嶋の三社と共に藩社とされ、

以後累代深く藩主の尊崇を受けるようになりました。

かくして石岡神社にも再び興隆の春が訪れ、元禄2年(西暦1689年)に

神主玉井石見守、同対馬守が大庄屋高橋立見をはじめ氷見

、橘の氏子の絶大な協力と藩の加護を得て起工し、ほぼ現在の体裁を整えるに至りました。

明治5年(西暦1872年)に郷社に列し、同17年(1884年)には県社に昇格しましたが、

終戦と同時に社格はなくなりました。

終戦直後の昭和21年、南海地震で拝殿が倒壊しましたが、氏子達は総力をあげて復旧に邁進し、

現在の拝殿が完成しました。

このように由緒ある石岡神社は令和2年(西暦2020年)で千百六十年の式年祭を迎え、

今もなお、歴史の上に燦として悠遠の光を放っています。

​石岡神社 境内マップ

Iwaoka Shrine Precinct map

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